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東京高等裁判所 昭和62年(う)850号 判決 1987年12月16日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役七年に処する。

原審における未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山田至、園田峯生共同作成名義の控訴趣意書(但し、弁護人らは、当公判廷において、おとり捜査についての主張は、おとり捜査の結果違法に収集された証拠能力のない証拠によつて事実を認定したという訴訟手続の法令違反をいうものであり、所持の共謀についての主張は、本件の共謀に関する原判決の事実誤認をいうものである旨付加して陳述した)に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官小林永和作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意のうち訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、要するに、本件においては、捜査機関がおとり捜査により被告人の犯意を誘発、強化させたものであるから、違法、不当な捜査がなされたものであり、その捜査によつて収集した証拠は違法収集証拠として証拠能力がないというべきであるのに、これを採用して有罪の事実認定をした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、被告人らが検挙されるに至つた事情は、原判決が弁護人らの主張に対する判断の一で認定しているとおりであり、その検挙に至る過程においておとり捜査がなされたことは否定することができない。しかし、原判決が説示しているように、被告人は、昭和五八年一〇月ころから、捜査機関の関係者と接触したりするうち、覚せい剤を日本で密売しようと企てるに至つたものであり、当初の覚せい剤取引の話が流れた後も、原審相被告人B(以下単にBという)らとの間で覚せい剤取引の交渉を何度もくり返したうえ、本件犯行に至つたものであつて、その間捜査関係者らと接触したことにより覚せい剤取引に関する犯意が持続、強化された面はあるにしても、捜査関係者によつて犯意を誘発、惹起されたものとは決して認められない。この点をさらに補足して説明すると、本件覚せい剤取引の犯行は、以前からの経過はさておき、直接的には、原判決が前記判断の一の1(四)で認定しているように、昭和五九年一二月二〇日ころ被告人、BおよびXの三名が新宿のホテルで話し合つたことから始まつたものであるが、その際捜査機関の協力者であるXが、何回も話が流れてしまつて社長に対し面子がないよなどと言つたことは原判示のとおりである。しかし、右Xの言葉は、それまでの経過からして極く自然の発言とみられ、それが被告人やBに対する覚せい剤取引の強要に当るものということはできない。Bは原審の公判において、右の話し合いの際、Xと被告人の両名から、どうしても必ずやるように責められたと供述しているのであるが、Bの原審における供述は、自己の立場を受動的、消極的なものとして述べようとの態度が顕著にみられるものであり、被告人の原審における供述とも対比し、にわかに信用することができない。そして、関係各証拠により認められる昭和五九年四月以降の被告人とBとの覚せい剤取引に関する行動状況、すなわち、右両名とも、日本に多量の覚せい剤を持込み、これを密売して多額の利益を得ようとし、日本と韓国あるいは台湾との間を再三往来していたことなどからすれば、前記一二月二〇日ころの話し合いの席において、Bは自己の任意の意思により昭和六〇年一月中に覚せい剤を日本に持込むことにし、被告人もBの企てに加担することにしたものと認めるのが相当である。また、その後、前記X及び原判示の「社長」らが、捜査機関と連絡をとりながら、Bや被告人らと種々折衝を重ねたうえ、覚せい剤一〇キログラムを買取ることにし、「見せ金」である現金をも持参して売手側に見せ、結局原判示の覚せい剤所持の犯行に至らせた点についても、原判示のとおり、覚せい剤所持の犯意を新たに誘発させたものではなく、従前からその犯意を有していた者にその現実化、行動化の機会を与えたにすぎないものというべきであり、本件事案の特殊性、重大性からして、著しく不公正な捜査方法であるということはできない。

以上を要するに、本件被告人らの検挙に至る過程において、おとり捜査がなされたことは明らかであるが、それによつて、被告人らの覚せい剤取引に関する犯意が誘発、惹起されたものでなく、当初からあつた犯意が持続、強化されたにすぎないというべきであり、本件事案の重大性、特殊性をも考慮すれば、右のおとり捜査は、捜査として許される限度を越えた違法なものとはいえず、著しく不当であるともいえないとみるのが相当である。従つて、本件のおとり捜査が違法、不当なものであることを前提にし、原判決が違法収集証拠によつて事実認定をしたものであるとの所論は、前提を欠き失当であるというほかなく、原審の訴訟手続に所論のような法令違反はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意のうち事実誤認の主張について

所論は、要するに、被告人は本件覚せい剤の売主と買主とを紹介した単なる仲介人であつて覚せい剤を所持する必要がなく、原判示のDことE(以下単にEという)やC(以下単にCという)とは話をしたこともないのであり、本件覚せい剤の所持を他の共犯者らと共謀した事実はないのに、その共謀を認定して被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというのである。

そこで、検討すると、原判決が、被告人はB、C、Eと共謀のうえ原判示の日時、場所において本件覚せい剤を所持したものと認定していることは所論指摘のとおりである。そして、本件犯行の経過、状況は原判決が弁護人の主張に対する判断の一の1において詳細に認定しているとおりであり、原判示罪となるべき事実記載の日時、場所において、当初はEが現実に覚せい剤入りのボストンバッグを所持していたのであつて、同人がそれをBに手渡した後、H巡査部長の合図によつて各人が逮捕されるに至つたものであるから、被告人は本件覚せい剤を現実に所持してはいなかつたことが明らかである。しかし、被告人と右のように覚せい剤を現実に所持したBとの間において、その所持についての共謀関係があつたと認めるべきことも、関係各証拠から明らかであるといわなければならない。

すなわち、被告人とBとは昭和五九年四月以降再三にわたり日本に多量の覚せい剤を持ち込んで売却し利益を挙げようと相談し合つたが、いずれも失敗に終つていたこと、同年一二月二〇日ころに企てられた本件覚せい剤取引において、被告人とBとは、翌六〇年一月初めころから韓国および日本において密接な連絡をとりながら右取引の実現に努力し、覚せい剤の売手であるC、Eと買主である原判示の社長らとの間に立ち、Bは主として売手側との連絡、交渉に当り、被告人は日本における社長側の者との折衝を担当していたこと、そして、被告人とBとは、同年一月一七日以降本件で逮捕されるまで寝泊りを含めて行動を共にしていたのであり、原判示のように、売手側と買手側とを一箇所に集めて覚せい剤の現物とその代金を交換させ、その代金二六〇〇万円のうち、C側には二〇〇〇万円を支払い、差額の六〇〇万円を二人で折半する予定でいたこと、本件犯行の直前ころ、被告人はベルモンテホテルの喫茶室に残り、BがCや社長側の者と共にホテルの外に出て行つたのであるが、被告人としては右の者らが覚せい剤の受け渡しのため出て行つたことを承知しており、BがC側と社長側との間に立つてその受け渡しをさせることをも当然予想していたこと、以上のような諸事実が関係各証拠によつて明らかに認められるのであり、これらの事実を総合すれば、被告人とBとは、本件覚せい剤取引の実現のため意思を通じ合い一体と、なつて行動し、互いに相手の行為を自己の行為と同様のものとして利用し合う関係にあつたものであつて、その取引の過程において一時的にでも覚せい剤を所持することがあり得るのをあらかじめ予測し容認し合つていたものというべきである。従つて、右のような共同意思に基づき、Bが現実に本件覚せい剤を所持したのであるから、被告人もその所持について共謀者としての罪責を負うべきことは当然といわなければならない。

以上に対し、被告人が本件覚せい剤の所持につきCならびにEとの間においても共謀していたものと認定するのは困難である。すなわち、CやEは、被告人やBとの関係においては互に覚せい剤売買の相手方であつて、対抗する関係に立つており(Cらは、本件当日までは、被告人らが買主であると考えていた。)、そのうえ、被告人は、CやEとは言葉が通じないので直接の会話を交わしたことがほとんどなく、Cとは韓国あるいは日本でBらを介して覚せい剤取引の打合わせをしたことはあるものの、同人との間で共同行為者のような関係が形成されるような話し合いがなされたとは認められない。Bあるいは原判示のYの介在を考えても、被告人がCやEと覚せい剤取引に関する共同実行の意思を連絡し合つたと認められるような証拠はない。原判決は、本件覚せい剤の代金が一旦被告人の手に渡つたうえ、韓国側と台湾側の各グループ間で分配される予定であつたと認められる、としているが、そのように認定できるだけの証拠は見当らない(なお、CとEとの間においては、共謀による共同所持があつたと認められる。)。

右のとおりであるから、原判決の事実認定のうち、被告人がC及びEとの関係においても共謀のうえ覚せい剤を所持したものとした点は事実を誤認したものといわなければならないが、前述のとおり、被告人とBとの間において共謀による共同所持の成立が認められるのであるから、右の誤認が判決に影響を及ぼすことの明らかなものであるということはできない。従つて、事実誤認をいう論旨も理由がない。

控訴趣意のうち量刑不当の主張について

所論は、要するに、共犯者らがいずれも懲役七年に処せられているのに、共犯者らより軽くこそあれ重いということはできない被告人に対し、懲役八年を言渡した原判決の量刑は重すぎて不当であるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、本件は原判示のとおり共謀による覚せい剤約一〇キログラムの営利目的所持の事案であるが、被告人は、事業の失敗により多額の借金を負い、その穴埋めをするために、台湾などから日本国内に多量の覚せい剤を持込みこれを売りさばいて利益を得ようとしたものであつて、その動機には格別酌むべき点がなく、その取引を成立させるため、韓国でBらと再三接触し、あるいは台湾へサンプルの確認に赴き、また日本での買手側とも折衝を繰り返すなど積極的に行動したうえ、台湾から本邦に持ち込まれた多量の覚せい剤の引き渡しにまで至らせたものであつて、計画的で悪質な犯行というべきであり、これら本件犯行の罪質、態様、動機、取引しようとした覚せい剤の量などを考え合わせると、被告人の罪責は誠に重大といわなければならない。

しかし、本件がおとり捜査により検挙されたため、覚せい剤も押収され、これが社会に害悪を流すような重大な結果に至らなかつたこと、被告人は本件によつて実際に利益をあげたものではないこと、被告人は本件犯行を反省し二度と覚せい剤に関与しないと述べていること、被告人はこれまで覚せい剤を使用したことはなく、交通違反による執行猶予付き懲役刑一回のほか多数の罰金刑の前科があるものの、服役の経験はないことその他家庭の状況など被告人のために有利に斟酌すべき諸事情も認められる。そのうえ、本件関係者らの犯情を考えると、CやEは覚せい剤の売手側であり、台湾の密売元にも近い関係にあるほか、本件犯行の直前にも本邦に約三五キログラムもの覚せい剤を持ち込み、その売却を図つたこと、Bは、昭和五九年四月ころ以降被告人に対し覚せい剤売買の話を再三持ち込み、本件取引においては、被告人と売手側を結び付けその間の連絡を図る重要な役を果したほか、右Cらが本件犯行直前に持込んだ覚せい剤のうち、二〇キログラムの売却に関与していること、これに対し、被告人は、売手側とはBを通じて交渉し、買手側とは自らが連絡、調整を担当して本件取引の実現に重要な役割を担つたことなどの諸点が認められ、これらを比較対照すると、右四名の間には刑責において明白な軽重をつけ難いものとみるのが相当である。そうすると、被告人が本件犯行において中心的な役割を果たしたものとして他の三名より被告人の犯情が重いとした原判決の量刑は、右関係者との刑の均衡の見地からみると、いささか被告人に酷なものであり、重すぎて不当であるといわなければならない。論旨はこの点において理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件につき更に次のとおり判決する。

原判決が認定した罪となるべき事実(但し、「被告人三名は、DことEと共謀のうえ」とあるのを「被告人は、Bと共謀のうえ」とあらためる。)に原判決と同様の法令適用(懲役刑のみを科することも同じ)をし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処することにし、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入し、刑訴法一八一条一項但書を適用して原審における訴訟費用は被告人に負担させないことにする。

以上のとおりであるから、主文のように判決する。

(裁判長裁判官千葉裕 裁判官新田誠志 裁判官山田公一)

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